サプリメントぐらし

あなたは私のビタミンC

あなたの顔認知はどこから?

私はカテコ中に舞台上から出席確認をされたときから。

顔認知というのは現場に通う人間だけの特権だと私は思う。その特権は1回や2回通う程度であったりイベントだけに参加するオタクには絶対に享受することは出来ない。そこそこの時間と現場の回数をこなしたからこその特権を私は以前より推しから貰い続けている。

初めて認知を貰ったのはかれこれ数ヵ月前のことだった。いつも通り舞台を楽しんだあと、カテコでなんとなしにぱちぱちと手を叩いていたらふいに推しと視線が合ったような気がした。推しはいつもカテコでは共演者と戯れるか2階席辺りをぼんやり眺めていることが多いので、突如向けられた視線に心底驚いたことを覚えている。恐らく視線が合った瞬間は1秒もなかっただろう。推しがぱちりと瞬きをした瞬間にはまたいつも通りぼんやりと2階に視線を向けていた。それでもその時の私にとってはひどく長い時間に思えたし、あの時の推しの瞳をこれからもずっと忘れないだろう。

勘違いだといわれたらその通りだと思う。*1それほどに些細な仕草だったし、対象が私だと決まったわけではない。ただの自惚れであるのかもしれない。いや自惚れに決まっている。だって私は推しに覚えられるようなことをした覚えはないのだから。

けれども推しはその後も出席確認をやめることはなかった。残念ながら出席確認といっても前方5列目くらいまでしか確認しないのだけどそれでもカテコ中にファンの姿を探して視線を彷徨わせることが増えた。1000人以上のキャパを持つ大きな会場でも地方の会場でも、逆に300程度の小さな劇場でも推しはファンを探す。


そうして見つける度とても満足げに頷いてみせるのだ。


その表情を見て喜ばないファンなどいるだろうか。いや、いまい。なにしろ自己満足だとばかり思っていた一方的な応援に彼は応えてくれたのだから。

ちなみに推しはあまり接触イベントを行わない。年に1回か2回くらいのものだろう。カレイベもバスツアーもFCイベントもしたことはない。私が推しを見るには舞台へと通う以外の方法はほぼなかった。

だからこの認知は紛れもなく現場に通った結果なのである。.5でもミュージカルでもストレートでも、大小関係なく通った結果があの満足げな頷きなのだとしたらこれほどに嬉しいことはない。茶の間には絶対に見ることの出来ないその表情は現場通いだけが見ることの出来る特権だった。


とはいえ私は決して認知が全てだとは思わない。認知がなくとも推しの演技が好きでファンをやっているし、推しのお芝居を通して最高の作品に出会えたときほど幸せなことはないと思っている。演技を通して推しの新たな一面を見られた日など心が躍るようだ。

でもだからこそ、カテコでしか見られない推しの表情に喜びを感じてしまうのかもしれない。演技のときに浮かべるものとは違うがあれもまた推しの表情のひとつ*2なのだから。

*1:後日、それが勘違いではなかったことが数少ない接触イベントにて発覚した

*2:最近は捌け際に手を振ったりにこりと笑って見せたりとカテコ芸が豊富になってきた

まとまりのない事をつらつらと

正月の挨拶も出来ずに月末を迎えることになるとは。
昨年の末にしっかりと推し納めをし、推し最高!って言っていたら年が明け、早くも月末になっていた。

昨年のことを振り返ろうにも推しのこと以外はあまりよく覚えていない。むしろ推し以外のことは忘れていたい。仕事とか、そんなんばっかりだったよ。たまに「もうやだ!推し降りる!!」と喚いたり「きらいきらい推しなんてきらい」とめそめそしだしたりと情緒不安定になりながらも、やっぱり推しが好きだなと思いながら現場に通っていた。メンヘラかよ。昨年は推しが炎上の火種を撒くようなことまでしてくれたので余計メンヘラに拍車がかかっていたような気もする。推しはいい子で優しい子なんだけどたまに驚くほど配慮に欠けた発言をするんだよな……

とはいえ最近は絶賛推し可愛い期間なので心晴れやかではある。炎上の火種も穏やかに収束し今度の舞台のチケットもちゃんとご用意していただけた。それだけで随分とメンヘラが収まるのだから自分でも自分のことをチョロいとは思う。

 
でも近々接触イベントがあるからその頃にはまたヘラってるんじゃないかな。推しは接触も嫌いじゃないみたいなんだけど、推しからガツガツサービスをするというよりはファンからの要望に対して丁寧に答えていくスタイルだ。悪くはないんだけど押しの強いファンからの要望が日に日に目に余るレベルになってきているからその辺りをちゃんと捌けるようになって欲しい。チェキ撮影のとき、いくらポーズ自由だからといってお姫様抱っこにOK出しちゃったのはまずいと思うよ。案の定同担たちによるSNSでの学級会が開かれていたし。増長する人はどこまでも増長するしオタク同士の自治を求めたって仕方ないんだから事務所とか主催がきっちりと釘を刺すべきなんじゃないかな。特に推しはファンに対してはっきりと断るということが出来ないタイプなので事務所は気にしてあげて欲しい。本当は個人個人が分別と常識を持って思いやりのある接触に出来たらいいんだろうけど、そんなものはどだい無理な話だ。(でもお姫様抱っこって嫌じゃない?抱かれる側も地味に力が必要だから顔ぶさいくなことになるし、私なら推しの前でぶさいくになってる状態をチェキになんて収めたくないな)

ところで毎回思うけど接触ってどうしたらいいのか迷うよね。前後に舞台があればその感想も言えるけど大抵期間があいている暇な時に接触の日程が組まれている場合が多い。なので感想を言おうにも期間が開きすぎて「今更なんだけど…」という空気になりがちだ。迷いすぎて「詳しいことは手紙に書いてあるから!よろしく!」でいいんじゃないかとすら思ってしまう。接触前にトークショーやらがあればその内容について話せるのだが、いきなり握手会から始まる場合はそうもいかない。しかもそういうときに限って持ち時間1分とかある。長いわ。前の接触のときは応援してる旨と前回舞台の好きな部分とお礼を述べたんだがそれでも時間が余った。あまつさえ推しから「ん?他にしてほしいことないの?」という態度を取られる始末。
これは上記にも述べた図々しい同担たちのせいでもある。とある同担が推しに握手以上のものを求めてしまったせいでその流れが続いてしまった。頭を撫でて貰ったりとある映像作品のキメポーズを取ってもらったり他にもいろいろ。そのせいで推しは私にも「なんか要望あるでしょ?」という態度を取ってきたがそんなの普通に困る。あえて要望を述べるとするならばその受容体質を改めろということくらいだ。断る勇気、大事。

……気がつけば同担への愚痴になってしまうな。接触イベントとなるとどうしても同担のことを気にせずにはいられなくなるのもメンヘラる原因かもしれない。愚痴愚痴しい感情を抱いたまま推しと接触なんてしたくないに。もしも接触でも心穏やかに過ごせる方法があるのなら教えて欲しいくらいだ。

きっと私は接触においてどう反応すればいいのかがわからないから不安になっているんだと思う。接触に正解もなにもありはしないのだろうが、せめて嫌われないであろう反応をしたいのだ。推しは前述の通りファンの我儘に対して受容的だからこそ逆に何を迷惑に思っているのかわからない。

接触イベントまであと数日。
それまでこうしてまとまりのないぐだぐだとした感情を抱えながらなんに対してかわからない不安におろおろしたり同担に対する愚痴を抱えたりしながら過ごすのだろうな。もういっそ早く当日を迎えて早く楽になりたい。接触当日の過ごし方もだけど接触までの時間もどう過ごしたら楽でいられるのか、誰か教えて欲しい。

手紙について

若手俳優に渡す手紙の内容 - STELLA

こちらのエントリーを読んで軽率に影響された。

みんな手紙については悩んだり工夫したりしているんだなと思ったので私も流行りに乗って推しへの手紙について書こうと思う。
といっても私はバリバリ手紙を書くタイプではなく、精々同期間中に1~2通程度のゆるいタイプだ。

1.宛名

今は普通に「名前+様」タイプ。
しかし初めて手紙を書いたときは「名前+くん(星シール)」だった。普段から手紙を書く機会なんてなかったからどう書くべきか悩んで普段リプライを送るのと同じテンションで書いてしまったのだと思う。シールを貼っていたのは、以前glee(海外ドラマ)でレイチェルが自分の名前の後ろに星シールを貼っているのを見て真似した。スター.。.:*☆

2.書き出し

「名前さん、こんにちは!」から書き出す。たぶん一番よくある形なんじゃないかな。私のテンションとしては子供向け番組やニチアサショーで司会をやっているお姉さんだ。
それじゃーみんなー!元気にご挨拶できるかなー?こんにちはー!\こんにちはー!/
……決して推しを子供扱いしているわけではないことはわかって欲しい。これくらいのテンションじゃないと手紙を書くだなんて大それたこと出来ないんだ。自分を鼓舞しているだけなんだ。

3.内容

感想は基本的に褒めちぎってしまう。悪いところは自分でもわかってるだろうし、それときちんと向き合っていることを知ってるから特に指摘したりしない。でもあまりにも同じところで目についたりミスが多発しているときはそれとなく伝える。体調でも悪かったのかな?みたいな言い方だけど。

褒めるだけ褒めて満足したら次回作品の話も書く。原作付きだったら原作を読んでみての推しのイメージとか、どうなるかわからないから楽しみだーとか。そんな感じのことを簡単に並べる。ビジュアル出てたらそこから膨らむイメージとか第一印象も書くかな。

推しはSNSで趣味の話もたくさんするので、それに関連することを感想の中に散りばめたりもする。いかにうまく推しの興味の引きそうな話題を推しへの感想に組み込むかに躍起になった。うまく書けたときはガッツポーズだ。考えてる最中は楽しいんだけど物凄く時間が掛かるしやたらと疲れるから最近はやめている。

4.締め

定型文のような挨拶。あとは次回作品も楽しみだとか地方公演も行くねとか。

差出人の名前はHNだけ。こちらの身分提示なんて思い付きもしなかった。これはファンレ以外に手紙を書いたことのない弊害である。最近は開き直って、推しの個人情報も知らないのになんで私が個人情報を晒さなければならないんだと思うことにしている。本音は、今更になって住所氏名を明記するのは返信を期待しているようで気恥ずかしいだけだ。

5.手紙を渡す頻度

冒頭でも書いたけど、1期間に1~2通。たぶんこの界隈では少ない方だと思う。筆不精はたとえ推し相手でも治らない。それにこのブログを読んでくれている人なら察しているだろうけど、私はあまり文章を組み立てることが得意ではないのでこのぐらいのペースが精一杯だ。

ちなみに、たとえ映像仕事が続いてプレボに突っ込む機会がなかなかなくても決して事務所には送らない。あまり事務所のことを信用してないんだよね。

6.手紙の量

だいたい2枚。推しの誕生日とか記念日だとプラス1枚になることもあるかな。
でも以前枚数ばかりに囚われてとても小さな字でぎっしり書いてしまい逆に後悔したので最近は気にしないようにしている。どうせ読んだか読んでないかなんてわからないし。たぶん読まれてないし。

短い感想はTwitterで送るので、140字では書ききれないことを書いていく。どっちかでも目に留まれば嬉しいなという気持ち。

7.手紙の種類

便箋は気分によって変える。推しの好きなものとかイメージに近いものを選ぶことが多いかな。犬を飼ってるから犬のイラストが描いてあるやつとか、青色が好きだから空のやつとか。

封筒はどこにでも売っている普通のやつ。前は少し変わったやつを毎回使ってたんだけど、なかなか手に入り難い上に品切から再入荷までかなり時間が掛かるからやめた。手軽に用意出来るかどうかって手紙を書くテンション的にかなり大事。

番外編.今まで渡した変な手紙

これは完全に身バレするから言わない。友達には「それ完全に不振人物だよ……」って言われた。


以下は各自追加していくタイプなんだろうか?面白そうなので見掛けたものは全部足していこうとおもう。

8.手紙を書く時間

公演の始まる1週間くらい前から準備する。当日の感想以外の部分(書き出しとか次回作品の期待とか)を下書きしておいたり封筒の宛名書いたりデコったり。
当日になったらその日の感想を下書きして、前日までに準備しておいた分と合わせて清書。そしてプレボに突っ込む。

9.こだわり

特にはないけど、あえてあげるなら同じペンを使うことかな。0.4のゲルインキ。油性は絶対に使わない。メーカーによっては色によってかなり色味が違ったりするからなるべく変えないようにしてる。
でもそんな些細な違いまで気付くくらいなら最初に筆跡で気付くだろうから意味はないと思う。

10.手紙の取り扱い

あくまでも読まれることを前提に書きはするけれど、たとえゴミ箱直行でもかまわない。むしろこんな乱文早々に捨ててくれー!と頭を抱えることすらある。なぜ出した。それは私にもわからない。

そもそも手紙を書くようになったきっかけが「きみにはこんなにも沢山、少なくともここには手紙を書こうと思うくらいのファンがいるんだよ!」と推しに伝えるためなので、手紙があったことさえ知って貰えれば封は開かなくてもいいとさえ思っている。中身は大して重要ではない。



こんなところだろうか。
私はもともと個人として推しに認識されることが苦手で、なるべくなら群衆の中の一人としてとらえて貰いたいのでその気持ちが手紙の内容にも反映されている気がする。わざと一人称を使わないようにしたり私だけじゃなくみんなが推しのことを素敵だって言ってるよと読み取れるような書き方をしたり。この辺りはあまり掘り下げると闇が深まるので蓋をする。推しはファンのことなど気にせずのびのびと舞台に立ってくれたらいいんだよ。

今も推しへと手紙を書いている最中なので今回の企画はとても楽しかった。

ホス狂いの彼女と推し厨の私

久し振りに会った友人がホス狂いに片足を突っ込んでいた。

彼女とは何年ぶりに会っただろうか。以前に比べると少し派手ではあるがとても美人になっていた彼女はキレイながらもどことなく暗い影を背負っているようにも見えた。少し疲れもあったのかもしれない。他愛ない近況報告をしながら笑いあっていた矢先にホストクラブ通いをしていることを私に告白すると、少し間を空けてからぽつりと「貢いでも貢いでも金づるにしか思われていないのがわかるから辛い」という愚痴を呟いた。

彼女とは違い、私はホストクラブというものをよく知らない。精々若手俳優が演じるホスト舞台を見たことがあるくらいだろうか。ホストちゃんとかホントンとかワンプリとか眠れぬ町の王子様とか…。思ったよりたくさんのホスト舞台が思い浮かんで驚いた。若手俳優とホストは親和性が高いのだろうか。そんなどうでもいいことを考えながら私はスタバの新作に口をつけた。推しがSNSで写真を上げていたその新作は私には少し甘過ぎる。

「本当はお金と営業成績のためだってわかってるのに、君に会いたいから来てねって言われると我慢できない」
「わかる」

女の愚痴は共感と賛同を求めているだけだ、とはよく言うがこのときの私の「わかる」には過度の実感も含まれていた。だって私も推しが「絶対楽しいから来てね」とか「みんなに会えるのを楽しみにしてるよ」とか言っているのを見ると握手券付きのCDを買い足さずにはいられない。この時の私と彼女はただ追い掛ける相手が違うだけの同志であった。

そう考えるとやはり若手俳優とホストは親和性が高いのかもしれない。1度にかかる金額の高さと接客距離の違いはあるものの私は彼女のことを他人事とは思えなくなっていた。

確かに私たち厨はいくら貢いでも報われることは少ない。金づるとさえ思われていないことが大半なのではないか。なにしろ推しは直接私たちが出したお金に携わることはない。何回現場に入ろうと何冊写真集を買おうとそれが現金になって見えるわけではないのだから。接触を数ループしたとしても次の現場では当然ながらきれいさっぱり忘れられている。
それに報われないのはないのはなにも認知に付随する承認欲求だけではない。推しの演技に惚れ込んで今後も芸能界で活躍して欲しいと全力で応援していても、彼らはある日いきなり引退を表明する。事務所を辞めたりグループを脱退することもあった。「ご報告」のブログタイトルに怯えているのはなにも結婚報告が怖いだけではない。

「私への接客が営業でしかないことも本カノが別にいることもわかってる。お金がなければ捨てられる。なのにどうして離れられないんだろう」

そう言う彼女のうつむいた姿に私はかける言葉が見つからなかった。どうして離れられないのかなんて私たちは既にわかっている。彼女は担当のホストが、私は推しのことが好きだからだ。好きとは言ってもりあことは少し違う。けれどもどう違うのかは説明出来ないくらいには紙一重な感情。それがあるから私たちは相手から離れられないのだ。きっと彼女もそれがわかっているから愚痴という解決も回答も求めていない形で私に話したのだろう。

その後も私たちは尽きない愚痴を言い合い、それでも最後には「シャンタ入れた瞬間の担当の笑顔プライスレス」「舞台の上で楽しそうに演技する推しの姿プライスレス」と言って別れた。非生産的で意義もない会話の終結に女子会の最たるものを感じる。しかしこうしてジャンルは違えども同じ愚痴を言い合うということはなかなかに稀で大事なことなのではないか。どこかすっきりとした表情で改札を抜ける彼女の姿を見ながら私はそう思った。

別れ際の彼女はなにも言わなかったがその夜もまた担当のホストに会いに行ったのだろう。過去に使っていた電車とは別路線の電車に乗る彼女の足取りはどこか軽快に見えた。

推しとの出会いを含む過去から現在までの話

私は元々推しちゃん単推しだった。

その出会いはかれこれ数年前にもなる2ndテニミュ
ありふれた表現になるが、初めて推しちゃんを見た瞬間私の全身に衝撃が走った。
舞台の上に立つ推しちゃんは人間であることを疑うくらいに綺麗でキラキラと輝いている。
まるでビスクドールのような外見をしているのにきちんと喋ったり動いたり。
奇跡だと思った。

後に知ることになるのだが、推しちゃんは演技もうまいし歌もうまいし、なのに中身は少しフシギちゃん入っていてかわいい。
一生懸命だけど時々空回る姿には母性本能が全力でくすぐられる。
こんな子を好きにならないはずがない。


一目で推しちゃんに魅せられた私はすぐにその場でチケットを増やし、その後に続く推し活動の第一歩を歩み始めた。

推しちゃんを追って各地方を回る24/365
その日々はあっという間だった。
泣いたり笑ったりペンライトを降ったり握手会でぐるぐるしたりハイタッチしたり。
推しちゃんからは認知を貰えないのに別の共演者からは認知を貰えたという不思議な経験もした。
なんて濃密な日々だったのだろう。
当時は推しちゃんを追うのに血眼になって前しか見られなかったのだが、今はこんなにも穏やかに振り返ることが出来る。

そして迎えた2014年11月。
ドリライ大千秋楽にして2nd最後の日。
その日を最後に推しちゃんはパタリと舞台に上がらなくなった。

推しちゃんにやる気がなくなったわけでも引退を考えているわけでもないことはTwitterを見ているとわかる。
だから私は推しちゃんに関してまだ心配はしていない。
けれども私には確実に推しちゃん成分が足りなくなっていた。

絶望にも似た喪失感。

ずっと推しちゃんばかりを追っていたので、突如訪れた圧倒的な喪失を前に私は動揺していたのだと思う。
ぽっかりと空いた心の穴に戸惑うばかりだった。

そう思うとテニミュってすごい。
休む間もなく公演とイベントとドリライを提供してくれる。
そのお陰で私の心は私が思っていたよりも救われていたのだろう。
定期的に推しちゃんが見られるだなんて随分と贅沢なことだったんだ。

気付けば私は周りが心配するほどに憔悴しはじめていた。
このときほど心にも栄養分が必要なんだと実感したことはない。


そんな私を元気付けようとしてか友達がとある舞台に誘ってくれた。
友達の推しが出ているストレートの舞台。

そこにその後私が追い始めることになる推しくんがいた。

推しちゃんとは違い、推しくんには一目惚れではなかった。
なにしろ推しくんは見た目も雰囲気もなにもかもが私の好みとかけ離れている。
開演前にパンフを見たときもまったく興味が沸かなかった。

しかし舞台上に登場するやどうしてか推しくんから目が離せない。

演技が抜群にうまいというわけではないが、とても人間味があって生き生きとしていた。
視線で追うほど気になる存在なのに、しかしどうしてこんなに惹かれているのかがわからない。

閉幕後、作品自体はとても面白かったし心からの拍手を送ったが、それと同時に私は心の中で首を傾げていた。
推しくんってなんなの?
どうしてこんなに気になるの?
好みではないはずの推しくんの顔が浮かんでは消え、気付けば私は推しくんの過去作を検索しDVDを購入たりTwitterやブログのログを漁ったりしていた。

そんな推しくんとの出合いから早1年弱。
推しくんは月1ペースで舞台に出るのでそのたびに遠征して彼の芝居を観に行った。

1年前と違うところは、どうして好きなのかわからないけどやっぱり大好きだな、と思うところだ。
好きになることに理屈は必要ないのかもしれない。


今は推しくんの舞台活動も少し落ち着いている。
発表されている限りだと次の舞台に上がる予定は夏ごろだ。
まだまだ先なのが辛いところだが予定がはっきりしているせいか推しちゃんが舞台に上がらなくなったときのような喪失感はない。


最近は推しくんも推しちゃんも舞台に上がっていないので、推しは出ていないが少し気になっていた作品も観に行くようになった。
そしてどの舞台にいっても「あの人かっこよかったねー」とか「あの話のここが好きだな」とか話すので、きっと周りには単推しをやめてDDになったと思われていることだろう。
私自身も最近はすっかりDDだなーと思う。

それに単推ししているよりもDDをしながら好きな作品を好きなように観に行くのはとても気楽でもあった。
推しを目の前にするとどこかしら喜びと共に激しい苦しみも発生するものだと思うのだけど、DDをしているとその苦しみがまったくない。
穏やかなぬるま湯にたゆたんでいるような心地よささえも感じる。
観劇を趣味とするならばこのままDDとして過ごしていたほうが精神的にも肉体的にも観劇スタイル的にも良いのだろう。

けれども
やっぱり私はたとえどんなに心地よい春を過ごそうと、推しくんが舞台にあがる夏が待ち遠しくて仕方がない。
苦しみも感じてしまうとわかっていながら激しく熱い夏を求めてしまう。

きっと、春の木漏れ日の中で桜を楽しむよりも太陽に焼かれながらオアシスを目指す生活のほうが性に合っているのだろう。


早く夏にならないかな。
いまださくら色に染まるカレンダーを見ながら私はまだまだ先の開演日にこの身を焦がし続ける。

就活と私と推し活

私は先日、転職活動を終えた。
採用通知を目の前にしてまず思ったことは「これでチケット増やせる」だった。

元々私は非正規で働いていた。かつての職場に不満はない。人間関係もそこそこうまくいっていたし仕事も楽しかった。正規雇用に比べたら給料は少なかったけれど、しかしそれでも月1以上遠征して通帳の残高が0になることはない。なにより有給もある上に1週間前にいきなり申請しても大丈夫という点は推しを追うのにとても助かった。これからも推しを応援するのならばこれ以上いい職場もないと思う。辞めたくないなぁと何度思ったか。

しかし私がどれだけその職場が好きだろうと退職の日は着実に近づいてくる。悲しいかな、任期満了という事実からは逃げられなかった。

辞めるまで、更に辞めたあとも特にコネやアテがあるわけでもなく私は普通に無職になった。非正規とはいえ何年も勤めたというのに終わりはあまりにも呆気ない。

辞める前から少しずつ就活は始めていた。再就職をするにあたって無職期間が短ければ短いほどいいというのは何年経とうと変わらない。何回か面接を受けてはいたけれど、しかし残念ながら無慈悲なお断り通知が来るばかりだった。

それでも私は焦りや不安を感じることもなく、ただ書面でお断りをしてくるだけで丁寧だなぁとすら思った。少しがっかりはするけれど各種プレイガイドからの「チケットをご用意することが出来ませんでした」ほどではない。あれは絶望の代名詞だ。

無職になって、一息ついて、そして私はさっそく現場に向かった。たぶんこの頃の私を親が知ったら落胆するに違いない。無職を堪能しながら推しを追って遊び呆ける娘の姿はあまりにも楽天的過ぎて見せるに見せられない。

しかしそうは思ってもやめられないのが推し活動。その日はちょうど土日マチソワ千秋楽だった。たとえ親の目が痛かろうとハローワークになんて行っている場合ではない。
遠征は体力が必要だが、しかし私は無職なので月曜の心配をする必要はなかった。疲れたら1日中寝ていたらいい。なんの心配もなく全力で現場に向かえるなんて最高だ。……嘘だ。職の心配はあった。ハローワークに行け。

不思議なことに当時は無職であることの不安は驚くほどなかった。学生の頃に就活していたときのほうが余程焦っていたし追い詰められていたと思う。半ばノイローゼになりながら履歴書を書いていたあの時のことを思い出すと本気で吐き気がする。

かつては就活がうまくいかなくて眠れずに泣いた日すらあったのに無職になってからはハローワークにすら行かず届いたばかりの舞台DVDを見て泣いたり笑ったりしていた。一種の開き直りだったのかもしれない。職が無いことよりチケットが無いことのほうが怖かった。

現場に行ってDVDを見てまた次の現場に向かっていたらあっという間に1ヶ月が過ぎた。1ヶ月って早い。その間ハローワークに行った回数はたったの1回。それも失業給付の手続きをするためだけだった。

ずらりと並ぶ求人票を横目で見ながら何もせずにハローワークを出る。その日は19時から推しの出演する舞台があった。私は当然のように求人票を無視してそのまま現場へと向かう。ハローワークでは多少浮いていたキレイめの服装は現場に行くとぴったりとマッチした。

無職であることに焦り始めたのはチケットの枚数が少なくなってきてからだった。もちろん私の資金が尽きたわけではない。最後のお給料はまだまだ残っている。

ではなぜか。次の作品が終わったら半年先まで推しの舞台情報がないからだ。

現場に行く予定がないと思うとなぜか働かなければと焦り出すのだから不思議だった。推しのために何もしていないという状況が嫌だったのかもしれない。働いてお金を作るわけでもなく現場で推しを応援するわけでもない毎日はあまりにも無為で次第に心が死んでいく。とにかくなんでもいいから推しのために動いていたかった。

そんな気持ちに陥り真面目に就活を始めたのは無職になってから2ヶ月が経とうとしていた頃である。現場に行くこともなく遠征のために宿や交通を手配する必要も無い日々は就活をするのにちょうどよかった。

しかし現実はそう甘くない。私はさっそく2件連続で書類すら通らないという現実に直面する。ちくしょう。御社のことを一生懸命に考えて自己をPRしたり経歴書を書いたこの努力をどうしてくれる。不採用通知の封筒はTSCの会報よりも薄くて辛辣だ。
このがっかり具合は何度ガチャを回しても推しの缶バッチが出ないときの気持ちと似ていた。絶望するほどではないがちょっぴりため息が出ちゃう。そんな気持ち。

とまぁそんな感じでだらだら就活をしながら無職生活を堪能していたのだが案外と終わりはあっさりとしていた。無欲の勝利かもしれない。3件目の面接を受けたその日に採用の連絡がきた。ガチャよりも職のほうが当選確率が良いとはどういうことだろう。5回以上挑戦してもまだ出なかった推しのトレブロを思い出す。

面接の時点で不採用を覚悟していた私は喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。当然だろう。面接での私はひたすら土日休みの職場につきたいとしか言ってないのだから。だって今週末にも舞台がある。たとえ就活に苦しんでいようとも決して見逃すわけにはいかない。推しを応援するにあたって土日が休日であるかどうかはかなり重要だった。

そんなわけで私は今、採用決定から初出勤日までの無職とも就活生ともいえない絶妙な立場で最後のモラトリアムを過ごしている。とはいえやることはいつもと変わらない。

片手にはスケジュール帳、もう片方にはスマートフォンを携えて今日も私はチケット取りに奔走する。