サプリメントぐらし

あなたは私のビタミンC

推しとの出会いを含む過去から現在までの話

私は元々推しちゃん単推しだった。

その出会いはかれこれ数年前にもなる2ndテニミュ
ありふれた表現になるが、初めて推しちゃんを見た瞬間私の全身に衝撃が走った。
舞台の上に立つ推しちゃんは人間であることを疑うくらいに綺麗でキラキラと輝いている。
まるでビスクドールのような外見をしているのにきちんと喋ったり動いたり。
奇跡だと思った。

後に知ることになるのだが、推しちゃんは演技もうまいし歌もうまいし、なのに中身は少しフシギちゃん入っていてかわいい。
一生懸命だけど時々空回る姿には母性本能が全力でくすぐられる。
こんな子を好きにならないはずがない。


一目で推しちゃんに魅せられた私はすぐにその場でチケットを増やし、その後に続く推し活動の第一歩を歩み始めた。

推しちゃんを追って各地方を回る24/365
その日々はあっという間だった。
泣いたり笑ったりペンライトを降ったり握手会でぐるぐるしたりハイタッチしたり。
推しちゃんからは認知を貰えないのに別の共演者からは認知を貰えたという不思議な経験もした。
なんて濃密な日々だったのだろう。
当時は推しちゃんを追うのに血眼になって前しか見られなかったのだが、今はこんなにも穏やかに振り返ることが出来る。

そして迎えた2014年11月。
ドリライ大千秋楽にして2nd最後の日。
その日を最後に推しちゃんはパタリと舞台に上がらなくなった。

推しちゃんにやる気がなくなったわけでも引退を考えているわけでもないことはTwitterを見ているとわかる。
だから私は推しちゃんに関してまだ心配はしていない。
けれども私には確実に推しちゃん成分が足りなくなっていた。

絶望にも似た喪失感。

ずっと推しちゃんばかりを追っていたので、突如訪れた圧倒的な喪失を前に私は動揺していたのだと思う。
ぽっかりと空いた心の穴に戸惑うばかりだった。

そう思うとテニミュってすごい。
休む間もなく公演とイベントとドリライを提供してくれる。
そのお陰で私の心は私が思っていたよりも救われていたのだろう。
定期的に推しちゃんが見られるだなんて随分と贅沢なことだったんだ。

気付けば私は周りが心配するほどに憔悴しはじめていた。
このときほど心にも栄養分が必要なんだと実感したことはない。


そんな私を元気付けようとしてか友達がとある舞台に誘ってくれた。
友達の推しが出ているストレートの舞台。

そこにその後私が追い始めることになる推しくんがいた。

推しちゃんとは違い、推しくんには一目惚れではなかった。
なにしろ推しくんは見た目も雰囲気もなにもかもが私の好みとかけ離れている。
開演前にパンフを見たときもまったく興味が沸かなかった。

しかし舞台上に登場するやどうしてか推しくんから目が離せない。

演技が抜群にうまいというわけではないが、とても人間味があって生き生きとしていた。
視線で追うほど気になる存在なのに、しかしどうしてこんなに惹かれているのかがわからない。

閉幕後、作品自体はとても面白かったし心からの拍手を送ったが、それと同時に私は心の中で首を傾げていた。
推しくんってなんなの?
どうしてこんなに気になるの?
好みではないはずの推しくんの顔が浮かんでは消え、気付けば私は推しくんの過去作を検索しDVDを購入たりTwitterやブログのログを漁ったりしていた。

そんな推しくんとの出合いから早1年弱。
推しくんは月1ペースで舞台に出るのでそのたびに遠征して彼の芝居を観に行った。

1年前と違うところは、どうして好きなのかわからないけどやっぱり大好きだな、と思うところだ。
好きになることに理屈は必要ないのかもしれない。


今は推しくんの舞台活動も少し落ち着いている。
発表されている限りだと次の舞台に上がる予定は夏ごろだ。
まだまだ先なのが辛いところだが予定がはっきりしているせいか推しちゃんが舞台に上がらなくなったときのような喪失感はない。


最近は推しくんも推しちゃんも舞台に上がっていないので、推しは出ていないが少し気になっていた作品も観に行くようになった。
そしてどの舞台にいっても「あの人かっこよかったねー」とか「あの話のここが好きだな」とか話すので、きっと周りには単推しをやめてDDになったと思われていることだろう。
私自身も最近はすっかりDDだなーと思う。

それに単推ししているよりもDDをしながら好きな作品を好きなように観に行くのはとても気楽でもあった。
推しを目の前にするとどこかしら喜びと共に激しい苦しみも発生するものだと思うのだけど、DDをしているとその苦しみがまったくない。
穏やかなぬるま湯にたゆたんでいるような心地よささえも感じる。
観劇を趣味とするならばこのままDDとして過ごしていたほうが精神的にも肉体的にも観劇スタイル的にも良いのだろう。

けれども
やっぱり私はたとえどんなに心地よい春を過ごそうと、推しくんが舞台にあがる夏が待ち遠しくて仕方がない。
苦しみも感じてしまうとわかっていながら激しく熱い夏を求めてしまう。

きっと、春の木漏れ日の中で桜を楽しむよりも太陽に焼かれながらオアシスを目指す生活のほうが性に合っているのだろう。


早く夏にならないかな。
いまださくら色に染まるカレンダーを見ながら私はまだまだ先の開演日にこの身を焦がし続ける。