サプリメントぐらし

あなたは私のビタミンC

就活と私と推し活

私は先日、転職活動を終えた。
採用通知を目の前にしてまず思ったことは「これでチケット増やせる」だった。

元々私は非正規で働いていた。かつての職場に不満はない。人間関係もそこそこうまくいっていたし仕事も楽しかった。正規雇用に比べたら給料は少なかったけれど、しかしそれでも月1以上遠征して通帳の残高が0になることはない。なにより有給もある上に1週間前にいきなり申請しても大丈夫という点は推しを追うのにとても助かった。これからも推しを応援するのならばこれ以上いい職場もないと思う。辞めたくないなぁと何度思ったか。

しかし私がどれだけその職場が好きだろうと退職の日は着実に近づいてくる。悲しいかな、任期満了という事実からは逃げられなかった。

辞めるまで、更に辞めたあとも特にコネやアテがあるわけでもなく私は普通に無職になった。非正規とはいえ何年も勤めたというのに終わりはあまりにも呆気ない。

辞める前から少しずつ就活は始めていた。再就職をするにあたって無職期間が短ければ短いほどいいというのは何年経とうと変わらない。何回か面接を受けてはいたけれど、しかし残念ながら無慈悲なお断り通知が来るばかりだった。

それでも私は焦りや不安を感じることもなく、ただ書面でお断りをしてくるだけで丁寧だなぁとすら思った。少しがっかりはするけれど各種プレイガイドからの「チケットをご用意することが出来ませんでした」ほどではない。あれは絶望の代名詞だ。

無職になって、一息ついて、そして私はさっそく現場に向かった。たぶんこの頃の私を親が知ったら落胆するに違いない。無職を堪能しながら推しを追って遊び呆ける娘の姿はあまりにも楽天的過ぎて見せるに見せられない。

しかしそうは思ってもやめられないのが推し活動。その日はちょうど土日マチソワ千秋楽だった。たとえ親の目が痛かろうとハローワークになんて行っている場合ではない。
遠征は体力が必要だが、しかし私は無職なので月曜の心配をする必要はなかった。疲れたら1日中寝ていたらいい。なんの心配もなく全力で現場に向かえるなんて最高だ。……嘘だ。職の心配はあった。ハローワークに行け。

不思議なことに当時は無職であることの不安は驚くほどなかった。学生の頃に就活していたときのほうが余程焦っていたし追い詰められていたと思う。半ばノイローゼになりながら履歴書を書いていたあの時のことを思い出すと本気で吐き気がする。

かつては就活がうまくいかなくて眠れずに泣いた日すらあったのに無職になってからはハローワークにすら行かず届いたばかりの舞台DVDを見て泣いたり笑ったりしていた。一種の開き直りだったのかもしれない。職が無いことよりチケットが無いことのほうが怖かった。

現場に行ってDVDを見てまた次の現場に向かっていたらあっという間に1ヶ月が過ぎた。1ヶ月って早い。その間ハローワークに行った回数はたったの1回。それも失業給付の手続きをするためだけだった。

ずらりと並ぶ求人票を横目で見ながら何もせずにハローワークを出る。その日は19時から推しの出演する舞台があった。私は当然のように求人票を無視してそのまま現場へと向かう。ハローワークでは多少浮いていたキレイめの服装は現場に行くとぴったりとマッチした。

無職であることに焦り始めたのはチケットの枚数が少なくなってきてからだった。もちろん私の資金が尽きたわけではない。最後のお給料はまだまだ残っている。

ではなぜか。次の作品が終わったら半年先まで推しの舞台情報がないからだ。

現場に行く予定がないと思うとなぜか働かなければと焦り出すのだから不思議だった。推しのために何もしていないという状況が嫌だったのかもしれない。働いてお金を作るわけでもなく現場で推しを応援するわけでもない毎日はあまりにも無為で次第に心が死んでいく。とにかくなんでもいいから推しのために動いていたかった。

そんな気持ちに陥り真面目に就活を始めたのは無職になってから2ヶ月が経とうとしていた頃である。現場に行くこともなく遠征のために宿や交通を手配する必要も無い日々は就活をするのにちょうどよかった。

しかし現実はそう甘くない。私はさっそく2件連続で書類すら通らないという現実に直面する。ちくしょう。御社のことを一生懸命に考えて自己をPRしたり経歴書を書いたこの努力をどうしてくれる。不採用通知の封筒はTSCの会報よりも薄くて辛辣だ。
このがっかり具合は何度ガチャを回しても推しの缶バッチが出ないときの気持ちと似ていた。絶望するほどではないがちょっぴりため息が出ちゃう。そんな気持ち。

とまぁそんな感じでだらだら就活をしながら無職生活を堪能していたのだが案外と終わりはあっさりとしていた。無欲の勝利かもしれない。3件目の面接を受けたその日に採用の連絡がきた。ガチャよりも職のほうが当選確率が良いとはどういうことだろう。5回以上挑戦してもまだ出なかった推しのトレブロを思い出す。

面接の時点で不採用を覚悟していた私は喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。当然だろう。面接での私はひたすら土日休みの職場につきたいとしか言ってないのだから。だって今週末にも舞台がある。たとえ就活に苦しんでいようとも決して見逃すわけにはいかない。推しを応援するにあたって土日が休日であるかどうかはかなり重要だった。

そんなわけで私は今、採用決定から初出勤日までの無職とも就活生ともいえない絶妙な立場で最後のモラトリアムを過ごしている。とはいえやることはいつもと変わらない。

片手にはスケジュール帳、もう片方にはスマートフォンを携えて今日も私はチケット取りに奔走する。